土曜日, 12月 27, 2003
■ 「著作権」なるものの本質とは(しば珍説)
- 答えてねっと:Q2003149678 『これって著作権法に違反しているんですか?』
- 答えてねっと:Q2003149835 『これって著作権法に違反しているんですか? に対する書き込み』
久々にかなり暴れさせていただきました。いやぁ、楽しかった(笑)
やっぱりinoue-t4氏は屑だったようです。
…じゃなかった(^_^;)
ここではそういう話をしようとは思っていません。また、そもそもの話の発端になったKei(Hope)さんの行動とか、それを指弾したvanjacさんの行動を云々しようとも思いません。
ただここでは、何故Kei(Hope)さんの
- 答えてねっと:A2003800263 (事務局削除になっています)
それを考えるにあたっては、「著作権」というものの本質が何なのか? ということを考えてみる必要がありそうです。
そもそも、「著作物」というものは、基本的に人間の頭脳労働により創造・創作されるものであり、その結果創出されてくるもののことを指すのだろうと思います。それはこうした「文章」や「書籍」であれ、「絵画」や「音楽」、「映画」や「コンピュータのソフトウェア」のようなものも同様でしょうし、こうしたインターネット上の「ホームページ」というものにもそうしたことは言えるでしょう。
そうした「頭脳労働の産物」には、どういうものであれ、ひとつの「価値」というものはあるでしょうし、事と次第によっては、後世に残すべき「財産」のような性格を帯びるものもあります。モノによっては「人に感動を与える」ようなことができるものもあるでしょう。
ですから、そうした「誰かが創出した著作物」を他の人が何らかの形で「利用する」場合には、少なくともその著作物、あるいはそれを創出してきた人を「尊重する」ことが当然必要になってくる筈です。
この「著作物を利用する人が、著作者あるいは著作物を尊重する」という態度を示すこと。
司馬は、これが「著作権」の本質なのではないかと思うのです。
著作物を利用する人が「その著作者あるいは著作物を尊重する(という態度を示す)」というのが、具体的にどういうことを(利用者として)すべきなのか? というのは、対象となる著作物、あるいは時と場合によって変わってくるだろうと思います。
例えば、書籍や音楽や映画などの場合であれば、「対価を支払って著作物を入手する」というような態度の示し方になることもありますし、学術論文のような場合であれば、「文章の引用元を明示する」といったような形になることもあります。
いずれにせよ、そこは「著作者の人の意向」が反映される部分もありますし、「価値基準」の違いも出てくることになります。また、「著作者に無制限な権利」を与えることで、「その著作物については、著作者あるいは限られた人だけにしか使わせない」ようにできてしまうのも問題になるでしょう。基本的に、「著作物」というのは、ある知識を前提とした頭脳労働によって作られるものですし、一般的に「知識」というのは何らかの著作物から得られるものですから。
ということで、そうした「著作者/著作物に対する『権利』」と、「それを利用する人に対する『権利』」をバランス良く運用するためのガイダンスが、いわゆる「著作権法」という存在だと考えることができます。
「著作権法」の法律的な知識については、バーチャルネット法律娘 真紀奈17歳で連載されている「著作権法講座」あたりがなかなかよくできていると思いますので、そちらをご覧いただくのが良いだろうと思います。実際、司馬もそこで勉強させてもらいました。
で、今回の話題の発端になっている事例の場合には、
- インターネット上のホームページに出ている文章の一部を、答えてねっとの回答に単純なCopy & Pasteで持ってきた
- その際に、その文章をCopy & Pasteするに当たって、事前に著作者に対する許可を求めていない
(すなわち、答えてねっとにPasteされた文章には、著作者の意向が働いていない) - そもそも、その文書のありかも、URLで併記されていた
で、vanjacさんが本質的に問題視したかったのは、恐らく2.の「著作者の意向が働いていない」ために、「コピー元文書の作者さんを尊重している行動とは思えない」という部分にあったのではないか…というのが、司馬の観測です。
著作権法には、「著作物の利用者が自由に行え、かつその行為に対して著作者が利用の差し止めなどの権利を行使することができない(=著作者の権利が制限される)行為」として、「著作物の引用」という権利が利用者に認められています。平たく言えば、「著作物の利用者が、その著作物を自由に使って良い場合がある」ということが謳われています。
ただ、それにしても、「著作者に対する権利」とのバランスの問題で、「引用」であることの条件というのが定められています。その「条件」については、上記の「著作権法講座」の「第8回」の部分に説明がありますのでそちらをご覧いただくとして、それが満たされていないと、「引用」とは呼べないものと見なされる可能性も出てくるわけですね。
これを言い換えると、著作権法上では、「引用」の範囲であれば「著作者の意志によらず、利用者の側が著作者・著作物を尊重して利用しているとみなす」代わりに、「引用の範囲を逸脱していれば、その著作物利用者は、著作者・著作物を尊重していないとみなす」と言っているのと同じ…とも言えるのだろうと思います。
一般的に「著作権」で保護されるのは「見た目の表現」に対してであって、その「内容」というのは保護の対象にはなっていない…ということもよく言われるところですが、他の人が作っている文章を単純にCopy & Pasteする…というのは、そのこと自体「他の人が創作した文章表現を『盗んできている』」ということですし、その一方で、今回のKei(Hope)さんの「他の人の作品(この場合はフリーソフト)を紹介する」という目的やその意図は誰も問題視をするところではないでしょう。
そう考えた場合、「著作権法」が言わんとしているのは、「そういう状況なのであれば、Copy & Pasteなんて安直な方法で済ませるのではなく、『自分の言葉を使って表現しろ』」ということであって、「そこに対して手抜きをするな」ということでもあるのだろう…というのが、司馬の考え方です。
ちなみに、今回の話題に関しては、司馬は「大暴れした(^_^;)」とは言っても、実はKei(Hope)さんの行為に対しては何の反応もせず、もっぱらinoue-t4氏を指弾するに終始していました。
これが何故か? と言うと、「著作権法で保護されるところの『著作物』とは言えない」という論理を振り回していたことにあります。
確かに、著作権法においては、その保護の対象としないものとして
- 憲法を始めとした法律・条例など
- 裁判の判決文
- 外国のそれらを翻訳したもの
- 客観的な事実を羅列しただけのもの
そうしたものに「著作権が発生しない」という考え方には何の異論もないのですが、少なくとも前述した「著作権なるものの本質」を考えた場合には、「著作物として権利保護の対象にするのかどうか判断に迷うもの」というのは、例外なく「著作物である」として扱うべきだろうと思うのですね。
自らの勝手な判断で、「権利の保護の対象にするのかどうか怪しいから、著作物として扱わなくて良い」という行動をすること自体、「その文章を利用する者の立場において、著作者・著作物を尊重しようとする態度に欠けているのではないのか」というのが、司馬が指弾していることの本質です。
(2003.12.28追記)
関連スレ: Q2003151505 『[情報提供] 著作権に関するVectorの見解』
近畿大の岡村久道先生のページ「サイバースペースの法律」も参考になります。
(追記ここまで)
土曜日, 12月 20, 2003
■ 掲示板やメールは「自分を映す鏡」
ちょっと更新期間が開いてしまいました(^_^;)
Blogを始めてみると思った以上に反応をいただいていて、Blogのコメント欄だけでなく、メールでご意見をいただくことも多いです。
最近、こういうご意見もいただきました。(メールの送信元は敢えて伏せます)
む〜(^_^;) かなり考えさせられました。
司馬自身は別に「回答を止めている」わけではないのですが、司馬はもともとMacユーザーなので、Windows環境が話題の中心になる「答えてねっと」というのは、司馬にとっては「教える場」というよりは「教わる場」だという位置付けなんですよね。
もちろん、司馬が答えられる質問があれば回答を付けることもあるのですが、どちらかというと「Windowsな環境を使っている人たちのところで、どういったトラブルが出てきて、それをどう解決していくのか」という情報を収集していく場として使っているわけです。
「司馬の答えてねっとでの露出度」というのがあまり高くならないのには、そういう理由があります。むしろ、「露出度を高くしたくても、できん(^_^;)」というところがあります。
とは言え、こういうBlogにかまけている時間があったら、「それに費やす時間を一人でも多くの人を救ってあげる回答に当ててほしい」というのはその通りだろう…と思っています。そういう気持ちというのは尊重しなければならないと思いますし、最近、自分自身、そういう意識が薄れてきていているところはあったかも知れません。
引用元のメールの方にはそういう返信をしたのですが、実はその文章を読んだ時に、今回のコラムのタイトルが浮かびました。まさしく、掲示板やメールは「吾輩を写す鏡」である んですね。
「答えてねっと」に限らず、掲示板一般というのは、「自分が相手をバカにしていると、相手も自分をバカにしてくる。自分が相手を尊重すれば、相手も自分を尊重してくる」というところがあります。
特に、文章だけのやり取りというのは、日常の世界のように「顔色を伺う」といったようなことができず、ある意味「自分の考え方を裸にして相手にぶつけている」部分があります。ですから、そういう傾向がさらに顕著に出てしまうのかも知れない…と思っていたりします。
「掲示板」のような場所には、そういう特性があるんですね。
ですから、自分が書いた投稿に対して「全く想定していない反応」が返ってきたような場合には、まず自分が書いた投稿をチェックしてみるべきなのだろうと思います。
司馬自身、結構「答えてねっと」あたりでも悪態を突いたりする(笑)ことがありますが、自分では「このくらいの表現なら問題ないだろう」と思って文章を書いて投稿した後、しばらく経ってからそれを読み直してみると、「うげ(^_^;) えっらいキツい表現してるなぁ(苦笑)」なんてことはよくあります。
逆に、「答えてねっと」で「叩き屋」を演じているような人であっても、さすがにパソコン系でそれなりのスキルを重ねている連中の間だと、例え「自分とは考えが異なる」という場合であっても、相手の考え方を尊重する…という態度を出してきていることを感じることがあります。
そういう連中に対しては、こちらも「礼を欠かさない」ようにかなり気を遣って文章を書いていたりします(^_^;)
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Blogを始めてみると思った以上に反応をいただいていて、Blogのコメント欄だけでなく、メールでご意見をいただくことも多いです。
最近、こういうご意見もいただきました。(メールの送信元は敢えて伏せます)
:
司馬さんのblog読んでいて確かに面白いです。
答えて に釘刺す回答もなるほど、とうなずけます。
でも、私としてはどちらかというと、
それに費やす時間を一人でも多くの人を救ってあげる回答に当ててほしいんです。
答えてを読んでいると、司馬さんがいてくれたら、と思う質問がたくさんあります。
:
(後略)
む〜(^_^;) かなり考えさせられました。
司馬自身は別に「回答を止めている」わけではないのですが、司馬はもともとMacユーザーなので、Windows環境が話題の中心になる「答えてねっと」というのは、司馬にとっては「教える場」というよりは「教わる場」だという位置付けなんですよね。
もちろん、司馬が答えられる質問があれば回答を付けることもあるのですが、どちらかというと「Windowsな環境を使っている人たちのところで、どういったトラブルが出てきて、それをどう解決していくのか」という情報を収集していく場として使っているわけです。
「司馬の答えてねっとでの露出度」というのがあまり高くならないのには、そういう理由があります。むしろ、「露出度を高くしたくても、できん(^_^;)」というところがあります。
とは言え、こういうBlogにかまけている時間があったら、「それに費やす時間を一人でも多くの人を救ってあげる回答に当ててほしい」というのはその通りだろう…と思っています。そういう気持ちというのは尊重しなければならないと思いますし、最近、自分自身、そういう意識が薄れてきていているところはあったかも知れません。
引用元のメールの方にはそういう返信をしたのですが、実はその文章を読んだ時に、今回のコラムのタイトルが浮かびました。まさしく、
「答えてねっと」に限らず、掲示板一般というのは、「自分が相手をバカにしていると、相手も自分をバカにしてくる。自分が相手を尊重すれば、相手も自分を尊重してくる」というところがあります。
特に、文章だけのやり取りというのは、日常の世界のように「顔色を伺う」といったようなことができず、ある意味「自分の考え方を裸にして相手にぶつけている」部分があります。ですから、そういう傾向がさらに顕著に出てしまうのかも知れない…と思っていたりします。
「掲示板」のような場所には、そういう特性があるんですね。
ですから、自分が書いた投稿に対して「全く想定していない反応」が返ってきたような場合には、まず自分が書いた投稿をチェックしてみるべきなのだろうと思います。
司馬自身、結構「答えてねっと」あたりでも悪態を突いたりする(笑)ことがありますが、自分では「このくらいの表現なら問題ないだろう」と思って文章を書いて投稿した後、しばらく経ってからそれを読み直してみると、「うげ(^_^;) えっらいキツい表現してるなぁ(苦笑)」なんてことはよくあります。
逆に、「答えてねっと」で「叩き屋」を演じているような人であっても、さすがにパソコン系でそれなりのスキルを重ねている連中の間だと、例え「自分とは考えが異なる」という場合であっても、相手の考え方を尊重する…という態度を出してきていることを感じることがあります。
そういう連中に対しては、こちらも「礼を欠かさない」ようにかなり気を遣って文章を書いていたりします(^_^;)
土曜日, 12月 06, 2003
■ パソコンのユーザーとして自立していけるか
今回はややパソコンの話とはかけ離れた話題から。
12/5 読売新聞朝刊(全国版)スポーツ面のコラム「王者たち」の記事より。スピードスケートの清水宏保選手を題材に取り上げた記事です。
パソコンとは何の繋がりもありませんが、スピードスケートでオリンピックの金メダルを取るだけの人が言うだけの重みを感じた記事でした。
で、ここで司馬の目に留まったのがこの文章。
今の「答えてねっと」、あるいはそこに参加する人に一番欠けているものが、これなのではないか…と感じるわけです。
そこで質問をする人にとっては、何か「問題を抱えている」から、それを解決しようとして「質問」を出してくる筈です。そのことには何の問題もないだろうと思います。
問題なのは、「その質問に対して何らかの回答が出てきて、問題が解決できた時」。この時に、単純に「問題が解決できた」で話を終わらせてしまうのか、解決するだけではなくそれをその後の自分に何か結びつけようとするのか。
後者ができる人というのが、「パソコンのユーザーとして自立して行ける人」なのではないかと思います。
同じことは、「回答をする側」の人間にも言えるだろうと思います。
何かの質問に対して回答を書くにしても、「何の資料も見ずに、とりあえず書きなぐればOK」というような質問というのは、決して多くはないだろうと思います。相手が何を知りたいのか? というところを読み取った上で、その趣旨に合わせた回答を考えるにしても、技術的な内容であれば、その内容を確認できるような情報も合わせて書くことが重要でしょう。となれば、参照する情報をそれなりに調べてから書く必要もあるでしょうし、そうすることというのはそれなりに時間のかかる話です。そうすることが、「回答する本人も勉強する」ことになる。
ですので、回答者の側にも、「自立していける人」というのがあるのではないか…と最近思っています。
1日に何回も同じ質問が出てくるような「ウィンドウの『最大化』『最小化』『閉じる』ボタンの表示が化ける」といったような話でもあれば別として、司馬自身は、「質問が出てからほんの2〜3分くらいで出てくる回答」というのは、信用が置けないんですよね。
回答の内容はそれで問題ないにしても、そういう回答の姿勢というところに不信感を持ってしまいます。
※ ただ、この「ウィンドウの『最大化』『最小化』『閉じる』ボタンの表示が化ける」というネタは、司馬自身は遭遇したことがないのでこの手のQ&Aサイトを見るまでは知らなかったのですが(^_^;)
現状の「答えてねっと」というのが「単なる懸賞サイト」と呼ばれてしまうようなレベルであることを、マイクロソフトもそれで良しとしているんでしょうか。
内容のレベルが今のままであれば、「巨大なゴミ集積場」にしかならないような気がします。内容のレベルをまともに吟味できれば、そこに集まってくる質問とか回答というのは「社会の財産」になり得るべきものだと思うのですが… ま、今の事務局のスキルであれば、「社会の財産」を「ゴミ集積場」にしているだけではあると思います。
それにしても、この引用元の記事を書いた読売新聞の三木さんという記者さん、なかなか名文書きですね。
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12/5 読売新聞朝刊(全国版)スポーツ面のコラム「王者たち」の記事より。スピードスケートの清水宏保選手を題材に取り上げた記事です。
滑り自問し続けた10年 「負けたメダルの方がアスリートとして成長すると思う」
(前略)
…今期は大学新卒の小林正暢(23)(山形県体協)が開幕戦で千メートルを制すなど成長著しい。6月末から4ヶ月間、行動を共にした”清水組”の代表選手でもあった。だが、合同練習の本当の意図は、別の所にあるという。
「一緒にやれば強くなるというものではない。もっと大事なことは、選手の自立心です。練習内容を自分で組み立て、消化する。自立した選手に必要なのはコーチではなく、体をケアするための医科学スタッフであり、行動計画を託せるマネジャー。そこを分かって欲しい夏でした」
他競技の刺激も活力にした。世界水泳では、北島幸介が百、二百メートル平泳ぎをともに世界新で制覇。世界陸上でも、末続慎吾が二百メートルで短距離種目初のメダルを日本にもたらした。ブラウン管越しにも、まるで音叉(おんさ)が共鳴するように皮膚が熱くなるのが分かった。
「無理だ、無理だと言われてきた日本人が、成功した。『無理』という意識の中で競技を始める子供たちよりも、『出来るぞ』という思いで始めた子供のほうが、はるかに楽しい」
少年少女につなぐ基盤作りも一流選手の目標だが、一朝一夕に出来上がるものではない。レースに合わせて気持ちを高めた1年、1年の繰り返し。それを途切れさせずにつないだ10年。気が遠くなるような蓄積は社会の財産でもある。
「10年ひと昔。その意味が最近、少し分かった気がする。でも、社会の多くの職人の方々は、一つの技を磨き、極めながら何十年も頑張っている。立ち止まろうとしない。記録や順位は自己満足だが、そこに捕らわれず、滑りの中身を問う自分があれば、もっと成長できる」
勝敗を超えたところに競技人生の深みが生まれる。 (三木 修司)
パソコンとは何の繋がりもありませんが、スピードスケートでオリンピックの金メダルを取るだけの人が言うだけの重みを感じた記事でした。
で、ここで司馬の目に留まったのがこの文章。
もっと大事なことは、選手の自立心です。
今の「答えてねっと」、あるいはそこに参加する人に一番欠けているものが、これなのではないか…と感じるわけです。
そこで質問をする人にとっては、何か「問題を抱えている」から、それを解決しようとして「質問」を出してくる筈です。そのことには何の問題もないだろうと思います。
問題なのは、「その質問に対して何らかの回答が出てきて、問題が解決できた時」。この時に、単純に「問題が解決できた」で話を終わらせてしまうのか、解決するだけではなくそれをその後の自分に何か結びつけようとするのか。
後者ができる人というのが、「パソコンのユーザーとして自立して行ける人」なのではないかと思います。
同じことは、「回答をする側」の人間にも言えるだろうと思います。
何かの質問に対して回答を書くにしても、「何の資料も見ずに、とりあえず書きなぐればOK」というような質問というのは、決して多くはないだろうと思います。相手が何を知りたいのか? というところを読み取った上で、その趣旨に合わせた回答を考えるにしても、技術的な内容であれば、その内容を確認できるような情報も合わせて書くことが重要でしょう。となれば、参照する情報をそれなりに調べてから書く必要もあるでしょうし、そうすることというのはそれなりに時間のかかる話です。そうすることが、「回答する本人も勉強する」ことになる。
ですので、回答者の側にも、「自立していける人」というのがあるのではないか…と最近思っています。
1日に何回も同じ質問が出てくるような「ウィンドウの『最大化』『最小化』『閉じる』ボタンの表示が化ける」といったような話でもあれば別として、司馬自身は、「質問が出てからほんの2〜3分くらいで出てくる回答」というのは、信用が置けないんですよね。
回答の内容はそれで問題ないにしても、そういう回答の姿勢というところに不信感を持ってしまいます。
※ ただ、この「ウィンドウの『最大化』『最小化』『閉じる』ボタンの表示が化ける」というネタは、司馬自身は遭遇したことがないのでこの手のQ&Aサイトを見るまでは知らなかったのですが(^_^;)
少年少女につなぐ基盤作りも一流選手の目標だが、一朝一夕に出来上がるものではない。レースに合わせて気持ちを高めた1年、1年の繰り返し。それを途切れさせずにつないだ10年。気が遠くなるような蓄積は社会の財産でもある。
現状の「答えてねっと」というのが「単なる懸賞サイト」と呼ばれてしまうようなレベルであることを、マイクロソフトもそれで良しとしているんでしょうか。
内容のレベルが今のままであれば、「巨大なゴミ集積場」にしかならないような気がします。内容のレベルをまともに吟味できれば、そこに集まってくる質問とか回答というのは「社会の財産」になり得るべきものだと思うのですが… ま、今の事務局のスキルであれば、「社会の財産」を「ゴミ集積場」にしているだけではあると思います。
それにしても、この引用元の記事を書いた読売新聞の三木さんという記者さん、なかなか名文書きですね。
火曜日, 12月 02, 2003
■ 「サイトでしていただく」という発想
- 答えてねっと:Q2003139483 『答えてねっとグランプリ 優秀な回答者って誰? 』
backstageさんの投稿。
この投稿自体はまぁ面白いことやってるな…と思って話の成り行きを見ているのですが…
いくつか気になるコメントがありました。代表的なところをひとつ挙げておきます。
● A2003749764:イケガミさんのコメント
サイトで、していただけるなら大賛成ですよ。
たんに、1スレッド内で話題にして、それほど意味があるのかな?と思っているだけで。
私自身は、こういう意見ってどういうスタンスでなされているのかよく分かりません。
「答えてねっとという名前のコミュニティで自然発生的にこういう話が持ち上がるのはダメだけど、事務局がやるのならOK」という主旨ですねぇ…これ。「自分で考えることを止めている」だけのように見えちゃうんですけど。
この他にも、何人かの方のコメントに、事務局を「絶対的な存在」として崇めるように思える発想が見られます。これって、非常にバランスが悪いような気がするのですが…。
(2003/12/5追記)
何があったのか分からないのですが、質問が閉じられてから2日くらい経ってから、スレッド丸ごと削除されましたね。2ちゃんねるで言うところのいわゆる「透明あぼーん」状態。
そういう扱いにするような内容でもないでしょうし、それならそれで、それ以前に丸ごと削除すべきスレッドは他にたくさんある筈。相変わらずこういうことをやっているから、「腐れ事務局」って書かれるんだろうと思うのですが…。
少なくとも、「コミュニティサイト」を名乗っているのであれば、「良い悪い」は別にしても、そうした「回答者にまつわる評判」というのは取り沙汰されてしかるべき話題です。ですから、そうした話題を削除に走っているということは、事務局自らが「コミュニティサイト」であることを否定しているということです。
「コミュニティ」という言葉の意味もきちんと理解できていないのですから、サイトの上部に出ている
「答えてねっと」は、マイクロソフトが運営する
パソコンに関するコミュニティサイトです
などという文章は下ろすべきでしょう。
「答えてねっと」は、マイクロソフトが運営する
パソコンに関するウソ回答満載サイトです
くらいに直しておいた方がまだ説得力があります。
(追記ここまで)
■ 「出る杭」が叩かれる理由
- 答えてねっと: Q2003137105 『しつもんの権利と回答を受ける権利』
Cutie Pieさんの投稿。
先日、巨人の上原投手が初めて契約更改に代理人を同席させたことがニュースになっていて、司馬もTVで見たのですが、契約更改後の記者会見で「これで来年成績が良くなかったら、またいろいろ書かれちゃうでしょ」といったようなことを言っていたのが印象に残りました。
ま、年俸が「億」の単位の人でしたら、やはりそれなりの成績を上げなければ叩かれるのは当然でしょうし、ご自身もそのことをよく認識しているのでしょう。それが「有名人」の宿命ですし。
もっとも、それは「プロ野球」の世界だからそうなのか? というと、決してそういうことではないでしょう。
「有名人」であれば、その行動というのは世間からも注目の的になるでしょうし、その行動というのは世間の規範にもなる筈です。そこには「収入の多寡」というのが関係してくるとは思えません。
「有名人」というのは、「有名であること」自体が「出る杭」なわけですので、「出た」分に見合ったレベルを求められて当然だろうと思います。それが伴っていないから、「叩かれる」ということなのではないでしょうか。
個人的には、「答えてねっと」でもそれは同じことだろうと思っています。
このスレッドの中にも、いくつか気になる回答があります。
● A2003737895:kuzusawaさんのコメント
「本サイトを存続する為にはみんなの優しさが必要だと思います。」
司馬には、この文章は「本サイトを存続する為には甘やかしが必要だと思います」って読めちゃって仕方がないんですね。
主題の件で色々と議論されているようですが、お互いに言い合いをすれば諍いに必ず発展します。
果たしてそうなのか。
まともな「議論」というのは、ともすれば単なる「言い合い」にしか見えない場合も確かにありますが、それを「言い合い」だと認識しているから、その先のレベルへ進めないのではないかと。
ですから、
こういったサイトの鉄則は、絶対に人の悪口を言わないことだと思います。
これも、結局のところはある意味「批判」と「誹謗・中傷」の区別が付いていないということの表われだろうと思います。
「苦言を呈する」ことを否定してしまっているのですが、「苦言」というのは、そのこと自体は「悪意」ではないわけですから。
● A2003737703:アカネさんのコメント
過去の経緯というのは司馬はあまり良く知らないのですが、アカネさんご自身が以前かなり周囲から叩かれていたということで、その経験に基づいた説明にはかなりの説得力があろうと思います。
2ちゃんねるのヲチスレで
700 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! 投稿日:03/11/27 21:09 ID:djsBa158
>>677
亀レススマソ。
給湯、垢根タソになついた模様(藁)
垢根タソ頼む、、、給湯の面倒をずっと見てやってくれ(懇願)
世界平和のために、、、
なんて書かれてましたが、これってかなり高く評価されてるんでしょうね。表現がさすがに2ちゃんねる流ですけども(笑)
…けど、アカネさんの説得もあんまり効を奏していないようですねぇ…。
